思い出はデジタルかアナログか
これに関しては断然アナログ派だ。
私は比較的デジタルにはアレルギーが少ない人間だと思っている。
必携デバイスはMacBook、iPad、iPhone、Apple Watch、Kindle、Google Home、仕事用のアイドロイド携帯まで使っている。間違ってはいけないが、「使いこなして」はいないが「使っている」日常だ。
このほぼフルコースとも言えるデバイスの中で全く使っていないのがある。
Kindleだ。
しばらく使ってみて思った。紙の方が私には向いている。
紙の匂いが好きとかめくる感触が好きとかでは無い。
本から学ぶ情報、言葉、フレーズは多い。
デジタルデバイスだと気になったフレーズや言葉を遡って探すのがやたらと時間がかかると言うことに気がつき、使わなくなってしまった。電源を気にするのも癪に触る。好きな時間本は読んでいたいものだ。
これと同じ感覚なのがアルバムである。
今や一眼レフより高機能となったiPhoneカメラは優秀で、いつでもどこでも思い出を逃す事がない。電源が入っていなくとも裏で色々整理までしてくれてアルバムを作ってくれるところまで至っている。
しかしだ。
実家にあるあのアルバムはわかりやすい、そして遡りやすい。
iPhoneをスクロールする速さは思い出もそのスピードと同様で、記憶やその時の情が湧き上がる前に過ぎ去ってしまう。ゆっくりスクロールすりゃ良いじゃんっ言われてもなんか違う。
ところがだ。
施設に入所している方々はアルバムを全然持っていない。きっと自宅にはあっただろうになぜほぼほぼの人達がアルバムを携えていないのだろうか。必要無い物とみなされ入所時に切り捨てられているとしたら大間違いだと思う。私は位牌や遺影よりアルバムを持って入所したい。Amazonでフエルアルバムも購入した。
誰かと並んで座ってめくる昔のアルバム
ひとりでめくったっていい
人は思い出の中に生きていると言う
頭付き合わせてiPhone覗き込むより情緒がありそうだ…