老人ホームの日々是晴れ、曇り日記

医師の訪問診療に同行する薬剤師です。老人ホームに入る前の準備や日々の頭の中を綴ってます。

人間の終の住処になるか。

週に2〜3回老人ホーム(施設)に出入りしているとだんだんと色々な物が見え、聞こえ、思うようになってきました。

 

***実に60代くらいから100歳を超える人までが同居している老人ホーム。

一口にホームと言っても有料老人ホーム、グループホーム特別養護老人ホーム老人保健施設サービス付き高齢者向け住宅…関わった事がない人にとっては何が何だかわからないと言ったところ。大まかに言うと受けられるサービスの違いと本人の自立の程度によって適切な施設が決まってくる。

私は現在老人保健施設以外は携わっているが、行う仕事の区別はほぼ無い。

先日あるグループホームの女性3人がテーブルを囲んで真剣に話し込んでいるのが聞こえてきた。ここはグループホームなので皆それなりの認知症患者さんの集まりである。

 

木村さん:「ねぇ、どうやったら家に帰れるだろうか。あたしはここにはもう居たくないわ。」

藤さん:「そんな事言うもんじゃないのよ。あなたのその物言いは娘さんもイヤになるでしょ?」

峰さん:「あなた、そんな事言ってもダメなんだからここで暮らすしかないのよ」

木村さん:「だってあの家は私のものよ。帰ったって構わないじゃないの。ここがイヤでイヤでしょうがないのよ。」

藤さん:「あのね、人を説得するときはねそんな言い方するもんじゃないのよ。ここがイヤって言ういいかたじゃダメなのよ。そうじゃなくて「家族と一緒に暮らしたいんだけどいかがだろうかね?だめかね〜?」ってこう言う聞き方するもんなのよ。私の家だ!私の家だ!って主張したってだめなのよ。受け入れてなんかくれないわよ」

峰さん:「…私だって本当はうちに帰りたいけど、言わないようにしてるんだから」

 

私はその時お薬の点検作業をしていたのだが、その会話をしている顔を確かめずにはいられなかった。

木村さんはかなりの認知症の患者さん。最近有料老人ホームからグループホームに来た方だ。手厚い看護を受けられる有料ホームで約10年暮らしていたが、思ったより長生きでお金が続かないと言う事情もありこちらに転居してきたそうだ。生きるって綺麗事じゃ無いのだ。

藤さんは普段の会話は「先生、わたしはいつお家に帰れますかね?」しか言わない患者さん。何度説明しても毎回それしか無い人だ。

峰さん。認知症はかなり軽い方だが、毎日のように家族が来て世話を焼いてくれている。家族に恵まれた人だと思っていた。

 

本当に びっくりした。こんな会話をする一面があるんだと。

みんな家に帰りたいのだ。終の住処は自宅、それが本音。でも峰さんのように事情を察する事が出来る人はわがまま言わない。だが認知症が進むと理性や理屈は取っ払われ、本音がでる。

〜みんな事情があって施設に入居している。

たとい終の住処でないとしても、大切な人達との心の絆だけは持てる環境に身を置きたい。それが日々施設に出入りしていて思う私の意見と将来像。これをこれから綴っていきます。